こんにちは、マサです。
早いもので、もう6月ですね。
2020年は人々のライフスタイル・ワークスタイルに大きな変革を求められる年となりました。
外出自粛によるリモートでの仕事や講義、慣れない環境での非日常が人々に多大なる影響を与えていることだと思います。
では前回の続きです。
急患
病院から帰宅後、疲れてすぐに寝てしまいました。
相変わらず熱は高く、口の中はただれ、喉が痛くて堪りません。固形の食事を摂取することは難しく、栄養ゼリーが喉に染みるのを我慢しながら少しずつ飲みました。
そんな夕方、トイレに行こうと腰を上げた時です。
ボタボタボタ…
シーツは真っ赤に染まっていました。
鼻から血が止まらないのです。もう死ぬかもしれない、と本気で思いました。
必死にタオルで鼻をつまみ止血を試みるのですが、30分経っても止まる気配はありません。
流石に危険を感じ、急いでタクシーを呼んで急患に掛かりました。
一瞬
病院に到着後手続きを終え、車椅子で耳鼻咽喉科まで運ばれました。
処置室に入り、最初に検温をしました。この時の体温は39.2℃、はっきりと覚えています。
応急処置として、ガーゼを鼻の奥まで詰めて物理的に止血するようで、それでしばらく様子を見るとのことでした。
耳鼻科の先生に処置をしてもらっている間も鼻血の量が多く、口まで流れ込んできます。
僕の膝には血を吐き出すための受け皿が用意されていて、先生に言われた通りに血を吐いていたのですが、血の量が多くかなりの量を飲み込んでしまいました。
その影響で徐々に気分が悪くなり、高熱も相まって意識が朦朧としてきます。
次の瞬間
視界が歪みました。
一瞬でしたが意識が飛んでしまったようです。
すぐに回復しましたが、異常なほどの喉の渇きに襲われ、隣にいたお母さんにお茶を買ってくるよう頼みました。
水分を補給してからは気分も良くなり意識もはっきりとしました。
しばらくして途中だった処置を再開し、無事両鼻深くまでガーゼを詰め込むことができました。
その日は帰宅し、すぐに寝ました。
判断
次の日。
いつもの如く体温は39℃オーバーでしたが、診察を受けるために病院に向かいました。
いつも通りの検査を終え、後は先生の話を聞くだけです。待合室で名前が呼ばれるのをひたすら待ちました。
ようやく名前が呼ばれ、診察室へと向かいました。家ではほとんど寝たきりなので、歩くだけで全身が悲鳴をあげます。
今日こそは原因がわかって適切な治療を受けれるようになる。そう信じていました。
しかし、先生から告げられた言葉に当時16歳の僕の心は容易く折られました。
「当初疑っていた感染症ではありませんでした。原因を特定するためにさらに詳しい検査をする必要があります。」
「今日は一度家に帰って、明日から入院しましょう。」
心と身体はもう限界でした。
約2週間40℃近い高熱と闘い、食事も水分も思うようにとれないまま過ごしてきたのです。
「先生、もうキツイです。今日から入院させて下さい。」
僕はそう言ったそうです。
はじまり
診察室から病室まで車椅子で移動していたのを覚えています。
外は明るかったのに、自分の周りは黒いモヤがかかっているような感じで見えました。
次に覚えているのは病室で目を覚ました時で、診察前に買ったメロンソーダを冷蔵庫から取ろうとしていました。
この日最後の記憶は一人でトイレに行こうとして点滴台を杖代わりに歩いた時です。
そしてここから記憶が全くありません。
2016年3月28日、長く辛い入院生活のはじまりです。
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